棚に足をかければ取れるのだ。絶対に。
自分のバランス感覚を持ってすれば、この書架の攻略など容易い。
そう、目の前にある書架の攻略は容易いのだ。
容易くないのは、この空間の守護者。

「葉佩さん、何か本をお探しですか?手の届かない場所にあるのでしたら、私が取りますよ?」
「いーえ、ただブラブラしているだけなのでお気になさらず」
「そうですか・・・・気になる本があったら、遠慮なく言ってください。では」

自分の言葉に優しい言葉と笑顔を見せて去っていく彼女だ。

「・・・・・・・・・・何でここには踏み台が無いかな」

手をヒラヒラ振って見送った葉佩は、書架の上方にある本を恨めしげに見つめた。

「うーわ、高い・・・・・・」

埃を被り誰も読まない、何のためにあるのか、どうして図書室に置かれることになったのか、誰にも分からない本がそこにある。
存在を知っているのは自分と七瀬くらいだろう。
その彼女でも、手にしたことがあるかどうか怪しいものだ。
だが、葉佩には確かに価値のある本。
自分の仕事に関係することが書かれているはずの本。
手にしなければならないが、誰にも知られてはいけない。
既に何人かには自分の正体がばれてしまったが、その彼らにでさえ、出来うる限り自分の行動を隠しておきたい。
そう思っている彼にとって、この書架は思わぬ強敵だった。
本棚が高すぎて、どうあがいても手が届かないのである。
伸ばしに伸ばした指の先から測っても、あと20センチはある。
二段目くらいに足をかければ余裕で掴めるのだが、そんな暴挙をあの彼女が許すはずが無い。
自ら図書室の禁を破り、大声で自分を叱るだろう。
この本を手にするチャンスが永遠に失われるというオマケもくれる。
夜中に忍び込もうにも、鍵が無い。壊して入れば図書室は調べられる。
そんな訳で、昼間にここから盗むしかない。
一度手にしてしまえば、誰にも気づかれずに持ち出す自信はあった。
しかし、手が届かない。

「取手に頼むか・・・・」

敵は生徒の中に潜んでいる。ならば、皆守にも八千穂にも信頼を寄せてはいけない。
だが、先日の件で生徒会から開放された取手ならば多少は信用できるだろう。考えた末、彼に頼むのが一番リスクが少ないと葉佩は結論を出した。

「音楽室にいるかな?」
「取手なら保健室だ。あいつに用事か?」
「そう、ちょっと手が届かなくてさぁ」
「取ってやるよ、どれだ?」
「いや、取手に頼む・・・か・・・ら・・・・・・・・・・・・・・・・・」

振った首が止まり、葉佩の脳が今の会話を反芻した。
スローな動きで向きを変え、会話した相手を見上げる。
炎のようなデザインのTシャツ、死んだ魚のような目、天然と寝癖が混ざっているらしき髪。

「わざわざ呼びにいかなくても、そこの棚だろ?どれだ?」
「皆守君」
「さっきからその棚ばっかり見てたよな?」

さっきまで自分が見ていた書架の棚を指差す皆守に、葉佩の頭の中は『ヤバイ』で埋め尽くされた。
話題を逸らし、一時退却しなければならない。

「だた何となく口から出ただけだし、別に凄い読みたい本じゃないからいいよ。それより、八千穂さんが見たら驚くんじゃないか?『皆守クンが図書室にい る!?』って」
「あんまり八千穂の言うことを真に受けるな」

うんざりした顔の皆守は、しかし話題の転換を許してくれなかった。

「で、本当にいいのか?」

背後にある棚を指差され、葉佩は人好きのする笑顔の前で両手を振った。

「いいよ、いいよ。それより、皆守君はココに何か用事?」
「カレー」
「カレー?・・・・ここにカレーは・・・あ、カレーの本?」
「違う。マミーズ行こうぜ。腹が減った」
「・・・・・・・わざわざ呼びに来てくれたってこと?」
「他に誰もいないだろうが。・・・・・・・・・・おい、行くのか?行かないのか?・・・・・・・・・・ちッ」

らしくない自覚はあったのだろう。
呆けた顔で見つめられるのが耐えられなかったのか、皆守は呼びに来た相手を置いて踵を返そうとした。

「その棚の・・・・・一番上の本が読みたい」
「あ?」
「あそこの、あのふっる〜い本が読みたいんだけど、取ってくれる?それ持ってマミーズ行こう」

問題の本を指差す。指の先を見た皆守の眉間が、ほんの一瞬険しくなった。
それを見逃さなかった葉佩は、皆守への疑いを深める。同時に、昼食に誘ってくれたことに対する親愛の情も。
だから、この先を考えると少し不安になる。
意外と面倒見のいい、おそらく友人になれるであろうこのクラスメイトに、いつか自分は銃を向けるのかもしれない。
それが切なくて、堪らなくなるのかもしれない。
だがそれでも、

「天香の真実を暴く」
「・・・・・できるものならやってみろ」

静かに宣言した葉佩に、皆守は本を押し付けた。







葉佩は、「疑う心」を捨てきれないと思います。でも、「信じたい心」も持ってると思います。
昼飯の誘いに来てくれた皆守に、ちょっとだけガードを薄くした話。
アロマはアロマで、近づきたいような拒絶したいような・・・・そんな話。