昔は大嫌いだった。
この国で、王子という肩書きは大した価値を持たない。
生まれたときから次期女王として生きてきた彼女には、貴族の陰口に言い返すでも、彼女の態度に腹を立てるでもない兄を、覇気の無い軟
弱な、王家に相応しくない人物としか感じられなかった。
彼女が兄なら、軽んじる発言をした貴族を許しはしない。妹の頬だって、打つ。
それだけの力があるのだから、そうする。
そう、兄にはそれができるはずなのだ。
優しくて
きちんと物事を考えることも出来て
母に似た面差しも持っていて
そして強い
女官や教師、父母や側近たちは兄をそう言って褒める。
事実その通りで、それが・・・・。
それが、たまらなく気に入らなかった。
彼女に出来ないことをやってのけ、欲しい物も持っているのに、それを嵩に着るでもない兄がたまらなく気に入らなかった。
八つ当たりする彼女を許す優しい兄の、その優しさ自身の醜さを思い知らされる。
そして思う。
兄が”姉”だったら、見向きもされなかったのは彼女の方だろう。
だから、彼女は兄の笑顔が嫌いだった。何でもできるくせに、彼女より強いくせに微笑むだけの兄が大嫌いだった。
そんな兄が頻繁に城の外に出ていると聞いたのは、やはり貴族の噂話だった気がする。
兄に出来るなら自分にだってそれくらいできる。
そんな対抗意識を燃やした彼女は、一人で城下に出て行った。
そして迷った。
城の外から一度も出たことが無かったわけではない。ただ、それは式典や行事に出席したときだけで、決められたルートを歩いたり運んで
貰ったりしただけだったのだ。好きな速度で好きなように歩く人なんかいなかったし、こんなに道があることも知らなかった。
流されるまま歩いて、自分が今どこにいるのか解らなくなった。
城は見えるのに近づけない。
右往左往している間に日が暮れて、道を尋ねようにも尋ねる人がいなくなった。
水の音しか聞こえなくて、泣こうにも矜持が許さなくて、どうしようもなくなって座り込んだ。
「・・・・・大騒ぎじゃろうな」
夜でも明るい城を眺めて、彼女は溜息をついた。
ミアキスは怒られていないだろうか・・・そんなことを思い、このまま自分が見つからなかったら兄が後を継ぐのだろうかと考えた。
母に似ていて優しくて賢い兄。
羨ましくてたまらなかったが、後を継ぐのは自分。
でも、それさえも兄が持っていってしまうのだろうか・・・・。
そんなことになったら、本当に自分はいらなくなってしまう。
「いやじゃ・・・・」
いらない子になんかなりたくない。
「わらわは女王になる・・・・」
「帰らないとなれないよ?」
「!?」
上から降ってきた声に、吃驚して顔を上げる。
そこには、
「あ・・・に、うえ?」
「そろそろ帰ろう?皆、心配しているから」
そう言って、微笑みながら彼女に手を伸ばす兄がいた。驚いたまま固まっている彼女を、手を取りたくないと思っているのだと勘違いした
のだろう。微かに寂しそうに手を下ろして、兄は彼女と同じようにしゃがみ込んだ。
「ミアキスさんが、真っ青になって探し回っているんだ。他の皆も」
近くで見たその顔と膝には泥がついていて、髪や服には葉が纏わりついていた。腕には枝で引っかいたような傷がある。
ああ、兄も自分を探してくれていたのだ。
そう思ったら、いきなり涙が出た。
躊躇いながら伸ばされた手が頭に触れると更に酷くなった。
はじかれたように抱きつけば、兄は尻餅をつきながらも抱き返してくれた。
「もう大丈夫だよ・・・・」
「ご、ごめ・・・・なさ・・・」
「うん。心配したよ」
「うっ・・・うぇ・・・あにうえ〜・・・」
ごめんなさい。
心配をかけて。
あんな態度を取って。
ありがとう。
それでも探しに来てくれて。
それでも心配してくれて。
ごめんなさい。
ありがとう。
いつの間にか泣き疲れて、気づいたらいつもの寝台で目が覚めた。
昼近くまで眠っていたらしく、彼女は側近のミアキスにお小言を喰らいながら兄を探した。
聞けば、この時間は図書室にいるらしい。
促され、彼女は一人で図書室に向かった。
向かったはいいが、どう声をかけたらいいのか解らない。
静かに葛藤していると、彼女に気がついた兄は少し驚いた表情になって、それから優しく微笑んだ。
「どうしたの?」
「あ、あの・・・・・・・昨日は」
「怪我は無かった?」
「・・・あ、それは・・・掠り傷一つ、無かったのじゃ」
「そう。良かった・・・・・・リム?」
彼女が俯くと、兄は近づこうと席を立った。
「やっぱり何処か・・・」
「礼を言わせて欲しい!」
怒鳴った後に兄を窺えば、呆気に取られた顔をして突っ立っている。
「その、何じゃ・・・・昨日、わらわの姿が見えないとミアキスが告げた時、一番最初に探しに出てくれたのは兄上じゃったと聞いた。日
頃あのような態度を取っておったわらわのために・・・・・。今までのわらわは愚かで卑屈あった・・・」
途切れた言葉に返事は無い。だが、彼女は言い続けることを決心した。
許されないだろう。それだけのことをした自覚はある。
それでも、間違いは認め、改めなければならない。
彼女は女王になることを自分で決めたのだから。
生まれた時に決まっていたからかではない、自分でなろうと決めたのだから。
兄に、八つ当たりをしていたことを謝るのが筋だ。
「どうか許して・・・・・・・あ、兄上!?」
いきなり顔を覆った兄に、彼女は慌てて駆け寄って見てしまった。
「泣いて・・・おるのか?」
「ごめん・・・少し待って・・・・」
その瞬間気づいた。
いつも笑っているからといって、何も感じていないわけが無いのだ。
聞こえない振りをしていも、ちゃんと聞こえているのだ。
優しくて
頭も良くて母に似ていて
武芸の素質があっても
自分より優れていても
辛いものは辛い。
悲しいものは悲しい。
それでもこんなに優しい。
優しくて、そして強い。
「兄上、ごめんなさい・・・・わらわは兄上に甘えておった」
「・・・リム」
「うん?」
「ありがとう」
「え?」
彼女が聞き返すと、兄は手をどけた。目の縁が少し赤くて、でも、笑っていた。
「兄上〜」
磨き上げられた廊下を、リムスレーアは今日も歩いていた。
右に左に、首をキョロキョロさせて。
自分を認めると、にっこり笑ってくれる兄を探して。
それを見るのが好きなので、彼女はこっそり兄に近づくことを余りしない。
兄の笑顔は強さの証だ。
そして、彼女を律するものでもある。
「あ、兄上ーっ!!」
「リム、ただいま」
そんな笑顔の兄に、彼女は突進した。
あんな出来た兄さんを持っていて、リムはちょっと苦しいんじゃないかなーと思っていたらこんな話になりました。
ファレナは女王国ですけど、別に統治者が絶対に女王じゃなきゃいけないってことはないと思うのです。
慣例でいけばリムが女王なのは当たり前だから、気にする必要は無いと思うのですが、リムは賢い子だと思うのでそういう制度にどっか疑問を持っていて欲し
い。
その疑問が、兄へのコンプレックスへ繋がっていきそうな気がするのです。
これ、王子サイドも書きたいですな。